チリパタゴニア旅行記(2004年12月)   ブラジル南部ドライブ旅行記  (2005年12月)

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6時ちょっと前にサンパウロを出発。どんよりとした生憎の空模様のなか、単調な丘陵地帯を一路西へと車を進める。約200Kmほど走ったところで小雨が降り出した。ゆっくり景色を楽しむことも出来ずドライブインで1回休憩しただけでクリチバ市内へ。ガイドブックにあるいい加減な地図でなんとかなるだろうと高をくくっていたが、思っていた以上の大都市で右往左往。結局いつものカンナビでホテルのあるSete de Setembro通りに行き着いた。

街並みはここがブラジルとは思えないほど整然として道路やバス運行が機能的に整備されていることに改めて感心。都市のモデルとして誇れるだけのことはある。

ホテルのある整然とした97日通り

早めの昼食をホテル近くのポルトガルレストランで摂る。クリスマスとあって誰も居ない。舌平目のムニエルはなかなか美味しかった。その後、植物園、セントロと市内をまわり、さらに近郊の町に出ようとしたが、道を間違えて郊外を迂回してまたホテルへ逆戻り。休憩後ガソリン補給のついでにレストラン探しのため、もう一回りしたが、店と言う店、レストランと言うレストランは全てクローズしている。昼食の店は奇跡的に行き当たったのだと再確認。夕食はルームサービスを頼むしかないと言う事。 サラダにワインで軽く済ませた。

植物園正面


植物園(正面の温室はここのシンボル。あいにく改装中で入れなかった。今日一日の走行距離は出発時53,648Km、到着時54,121Kmなので473Km。ガソリン代は90レアルで41L。リッター当たり11Kmちょっと走ったことになる。まあまあか。


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クリチバの朝は寒い。7時前にホテルを出発。それにしてもクリチバの交通規則は徹底している。レーダーで見張られているせいか、それとも皆マナーがいいのかどの車も制限スピードを維持してゆったりと走行して居る。 これがサンタカタリーナ州に入ると様子が一変し、皆バンバン飛ばしている。 要するに規則で縛って羊にしているということか。 ジョインビルへ下る峠道で小雨になった。晴れていたらきっと風光明媚と思われる山並みハイウエー。ジョインビルは仕事の関係もあるので一応市内を見て回ったが、取り立てて見るべきものなし。市内のゲートは立派なものできっとドイツの伝統がそこかしこで見られると期待したが、普通のブラジルの小都市でがっかり。次に立ち寄ったのはItajaiでブラジル一の漁港とか。残念ながら港へのアクセス見当たらず、そのまま進んでCamboriuへ。ここはミニリオと言ってよいほどアパートが林立している。ツーリストがうじゃうじゃいるので早々にBR101国道へ戻り、一路Florianopolisへと向かう。ホテルのロケーションを確認した上でお目当ての島の南部にあるレストランOstradamusへと急ぐ。石畳の道を20分ほど進むと植民地時代と思しき昔ながらの教会と街並みの中にレストランがあった。ウエイターは皆、水兵の制服(船長と帽子に書いてある)を着ている。目の前は穏やかな内海で地元の子供たちが波打ち際で遊んでいるゆったりした風景。ここで生牡蠣とパルメザンチーズのグラチナードを注文。とても美味。

名前がふざけているレストラン(Ostradamus)

その後、島の北部へと回ったが特に見るべきものなし。4時ごろホテルにチェックイン。このホテル(Porto da ilha)は酷い。部屋はお粗末、隣や外の音がもろに聞こえるし。これで184Realは暴利というもの。シーズンだから仕方ないと思うも。。。

夜を持て余しそうなのでショッピングセンターでDVDを買う。夕食はピザ。サービスはめちゃめちゃだがクリスピーでうまかった。ベースの生地はパリパリでピーマンやオニオンはちょっと火が通った程度でフレッシュさが維持されている。高温でさっと焼くときっとこうなるのだろう。大いに参考になった。本日の走行距離約370Km

12月27日

昨夜というか今日の朝方まで酷い目にあった。ホテルの隣のバール或いは上の階の住人がロックやサッカー放送を大音響で鳴らすわ、トイレの放水音はするわ、雨水がどこかに垂れる音はするわ、ともかく音の洪水で、結局断続的な浅い眠りのまま、我慢しきれず朝5時に起き出した。今日の行程は長いのでちょっと不安。7時前にホテルを出発、島を出るのにちょっと迷うが何とか橋を渡ってBR101号線を一路南へ向かう。4車線の区間はすぐに終わり1車線ずつの対向に。トラックが多いので追い越しに神経を使う。ツバロンまでお粗末なパンアメリカンハイウェーを進み、サンジョアキンへ向け内陸へと進む。スタンドでガソリンを補給。14Km/lは走っている。ツバロンは確か三井も出資している製鉄所のはず。立派な煙突がいくつも見える。 山道は勾配といい数といい、いろは坂の百倍のレベル。上るにつれガスで何も見えなくなった。標高1500m地点は完全にガスに閉ざされていて残念。サンジョアキンへ向け下り始めるとガスはすぐに晴れて八ヶ岳の何とか高原に似た森林限界を超えたような風景が素晴らしい。

まるで絵葉書でしょ

最初は見とれてシャッターを押し続けていた風景もいけども同じ情景に次第に無関心になり惰性でハンドルをかる。 パラナー州と違ってサンタカタリーナ州は皆スピード制限を無視してばんばん飛ばしている。この流れに乗ってようやくLagesへ到着。トラックのサービス関連に設備が多くいかにもロジスチックの貴地といった感じ。 この近くのスタンドで9レアイスの昼食を摂る。噛み切れないTボーンにどろどろのフェジョン。。。やめておけばよかった。。。

Lagesからはひたすら眠気をこらえCaxias do surヘ。Caxiaからがまた長い。いい加減つかれてきた頃、ようやくCanelaへ到着。さすがに疲れた。ちょっと休養した後、ちかくのレストランで昼のぱさぱさがちがちの肉のやり直しでFile a salsa de madeiraをたのむ。今度は美味しかった。本日の走行距離、およそ750Km

12月28日

昨日の長丁場の疲労と睡眠不足で流石によく寝た。今日決めてある行き先はParque Aparada das Serrasのキャ二オンのみ。7時にホテルを発ちSao Francisco de paula, Cambara do sur経由公園に入る。途中の景色を楽しみながら進む。何度見ても果てしないSerraの丘陵地帯は印象深い。Cambaraはうら寂れた田舎町でガイドブックにあるような小奇麗な街並みはどこにもない。Parqueへの入り口も何の案内もなく何度も道を聞いてようやくアクセスできた。未舗装の道を18Km進んで到着。昔の記憶ではものすごい大規模なキャニオンというイメージだったが、ちょっと期待を裏切られた感じ。帰途は同じ道を引き返すのも何なんで、海側に降りてみることにした。昨日同様霧がかかっていたが、ちょっと進むと下界と山並みが展望でき行った甲斐はあった。BR101号線まで降りたところでPorto Alegreに向け進む。また長距離の運転はしんどいので途中でCanelaへの山道に入ろうと思っていたが、適当な分岐なくどんどん進んでOsorioまで来てしまった。それならということでPorto Alegreヘ 向かう。

この街はとんでもない人口140万人の大都市だったことを再認識。Centro近くをうろうろするが駐車場が見当たらず、スーパーの二階に駐車。近隣を散策するが、お目当てのChurrascariaなどあるはずもなく、結局ポルキロで妥協。スーパーで地元ワインを買って出発。まったく勝手のわからない市内からどう脱出するか、太陽の真下で殆ど無い影と北部にある近郊の都市名をレ頼りに何とか見つけその方向へどんどん進むが、市街地が永遠と思えるほど続く。やはり140万人都市だ。アドレナリンを絶やさず道を間違えないようにしていたのでちょっと気を緩めた途端、別の町へ着いてしまった。ジグザクになってしまったが、ハイウエーも立派で何とか大回りせずCanelaに到着。改めてGramadoを眺めるといかにも俗化が進んだものと思う。昔はもっと欧州の雰囲気があった。今はディズニーランド。軽井沢もきっと似たような状況かと思う。中流のブラジル人にとってお手ごろな観光地なのでしょう。外国語を聞かないのにはびっくり。日本語はおろかスペイン語も。夕食はCanelaの手短なところで。ピザのRodigio。デザートまで甘いPizza。どこへ行ってもこればかり。明日はホテルでもう少しましなものを食べよう。

本日の走行距離564Km


12月29日

今日はゆくっりこの近辺でと考えていたが、ガイドブックを眺めるうちに気が変わってBento Gonzalvesへワイナリーを見に行くこととした。Caxias do surを経由して約120Kmの道程。

それにしてもこのブラジル南部の地方都市がどこも非常に豊なのにはびっくり。道路はどこへ行っても有料、しゃくにさわるが優良のSinominoでインフラはしっかりしているし、町並みもきれい。そこかしこに歩いている女性はドイツ移民の末裔だけあって紅毛碧眼が多く、とてもここがブラジルとは思えない。鄙びた山間でゴールデンヘアの女の子が道を横切るとここが本当にブラジルかと疑いたくもなる。 残念なのは日本企業の影が薄いこと。車もサンパウロがとホンダやトヨタが目立つがここはGMやワーゲン。やはり圧倒的に欧州の影響が強いところ。しかし豊な地方都市=電子政府のビジネスの可能性は非常に高いということを再認識した。

BentoではVale de Vinhedo(ワイン農園)を訪問。2箇所で試飲するも何故かつーんとする香りが気に入らず。結局買ったのはMioloワイン園でワインラック。サンパウロで見るものより造りがしっかりしているので気に入った。

  本日の走行距離は567Km

夕食はGramadoでピナーニャとチキンのグリル。ピカーニャはなぜがぷりぷりした感じの肉でぺけ。どうしてもGauchoの肉が食べたいと思っていたが全て期待はずれでがっかり。サンパウロのシュアスコの方が百倍ましということがよくわかった。そういえば牧場で見る牛にはこぶがない。きっと種類が違うのだろうと勝手に納得。

ブラジル人の一人旅というのに会ったことがない。今回は場所柄から言ってもファミリーで楽しみとことだから無理ないと言えばそう。夕食のレストランで60過ぎの夫婦が、注文もそこそこに「私よ。ママよ」とおそらくは娘に電話。他愛の無いことをしゃっべている。オトーサンはふんふんとうなずくのみ。こうした家族の強い絆を保ちつつ、こうして年老いていくのでしょう。昨今の日本とはちょっと違うかな。

本日の走行距離311Km。ガソリンを43L補給。(13.7L/Km)


12月30日

3日もいていい加減飽きてきたCanelaを早々に出発。通いなれたGramado、Nova PetropolisからCaxiasへの山道を飛ばす。休憩もそこそこにLegesを過ぎ、Blumenauへの分岐まで到着。ここで小用を足しついでに試食してなかなか美味しかったチーズとサラミを買う。エンパナーダも含め何と19レアル。Rio Grande do Surは有料が徹底しているだけあって道が素晴らしかったが、Santa Catarinaに入ってからは舗装状態が悪く州の方針でこうもインフラの状況が変わるものか。Blumenauは思ったより大都会。かんかん照りのなか早速セントロを散策。のどが渇いたのでChoperiaでChopを注文。よく冷えていてうまかった。街は川の流れに沿って立地している。ドイツ移民の末裔がそこかしこに。カップルの様子を見ているとどんどん混血が進んでいるように感じた。サンパウロで日系人と欧州系ブラジル人のカップルがよく見られるが、それと同じ現象。この町の創立は1850年。移民後150年も経つと5世代から6世代の時代であり無理もないことか。ドイツの香りは店にジョッキやスタインヘイガーが置いてあることで感じるくらいで普通のブラジルの町と変わらない。しかしOktoberfestを本国に次ぐ規模で維持しているのは多分に商業主義であっても立派。

夕食はホテルのフロントに聞いてFrohsinnというMorroの上にあって市内を一望に出来るドイツレストランに。例によって一番のり。二番のりは日本人のファミリー。日本人が来るというのはきっと有名なのでしょう。ドイツの典型的な料理ということでソーセージにザワークラフトを注文。もちろんビールとともに。デザートは温めたシュツリューゼル。 どれもとても美味しかった。とくにホースラディッシュの辛味がソーセージにマッチして最高。今回の旅行最後の夜に相応しいレストランとクィジーンでした。

本日の走行距離は意外に短くて567Km

コーベですが(メインは夢中で撮影忘れ)

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いよいよ今回の最後の行程。サンパウロまで殆どノンストップで飛ばす。昨夜何かと寝苦しかったのとエアコンを入れたり切ったりしたのが悪かったのか、朝からちょっとだるさが抜けない。 Curitibaを過ぎた辺りから腹調子も悪くなり、むかつき、下痢を抑えながら走り続けた。それでも午後1時を過ぎたところで路肩に車をとめて新年を迎えたばかりの日本の家族に電話する。やっとのことでサンパウロに到着。這うようにしてようやく自宅アパートへ。641Kmの苦しいドライブ。これを7時間で走ったので平均時速は92Km。到着時のメータは57325Kmでトータル3677Kmを走破したことになる。 楽しかった、でも、もう車での旅行は当面考えたくも無い。

アパートの駐車場で到着時刻と走行距離

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