赤岳  長野県 2899m    百名山
  

2012227

 一年ぶりに冬の赤岳を再訪することにした。今回は、珍しく単独ではない。昨年女峰山に同行して頂いたO氏とその友人T氏をお誘いしての3人パーティである。例によって週間天気予報や天気図と睨めっこしながら、快晴が期待できる日をマークした。自宅を夜半に出発した際には曇り空であったが、甲府を越えた辺りから、読み通り一面の星空となった。

 うっすらと雪化粧した美濃戸口に午前
5時半頃に集合、手早く朝食を済ませ、身支度を始める。6時きっかりに美濃戸口を後にした。私が先頭で、次いで登山経験の浅いO氏、会社山岳部所属のベテランT氏がしんがりだ。林道は完全にアイスバーン状態。赤岳鉱泉のHPによれば、四駆、スタッドレスにチェーンが必要とのことで、昨年同様、無理せずに美濃戸口から歩く。美濃戸まで往復1時間半程度労力が余計にかかっても、事故ったり、立ち往生するよりはなんぼかましだ。

 高度が上るに連れて積雪量は次第に増え、冬山らしくなってきた。美濃戸が近くなってくると行く手には青空を背景にした阿弥陀岳が見えてきた。毎度ながら何とも凛々しい御姿だ。

 美濃戸でトイレ休憩した後は、南沢へと歩を進める。休み明けとあって、しっかりしたトレースがついている。しかし写真撮影のため、トレースを外すと、いきなり太腿までももぐってしまった。数多くの先達のおかげで楽をさせてもらっていることを改めて痛感する。


          トイレ裏には立派な氷柱が立っていた                     ここから南沢へと進む    



               O氏の雄姿                              南沢を登るO氏とT氏


 白河原に差し掛かると傾斜も緩み、眼前には横岳から硫黄岳への大パノラマが迫ってきた。この迫力ある景色は何度見ても見あきることは無い。やがて色とりどりのテントが散在する行者小屋に到着。ここで小休止とする。アイゼンを装着し、ストックをピッケルに替える。ガス欠に備えて軽く腹を満たしておくも忘れない。


これを眺めに来たのです



行者小屋前のテント群


 いよいよ文三郎尾根の登りにかかる。ここからは傾斜が一段と増すことに加え、足にはアイゼンの重みが加わるのでなかなか辛い登りだ。昨年は降雪直後の崩れやすい雪だったので、まるで水前寺清子の三百六十五歩マーチ状態。三歩進んで二歩下がるため、えらく苦労した記憶がある。今年は踏み固められた硬いトレースなので昨年に比べれば楽なものだ。


             文三郎尾根への登り                        森林限界をそろそろ越える



横岳と大同心、小同心



中岳と阿弥陀岳



            次第に傾斜がきつくなる                            高度感も素晴らしい



赤岳山頂は目前だが、、、



 自分はさておき
O氏の調子が良くないようで気になる。どうしても遅れがちになり、時折立ち止まっては一息入れている。辛い急登を終えてようやく赤岳と中岳の鞍部に着いた。

 稜線では、雪煙が舞っていることは遠目にも見えていたが、やはり冬の八ヶ岳だ。強風と共に襲いかかる雪礫に露出した頬が痛い。この先鎖場が連続する核心部になるのだが、ばて気味の
O氏の状態が心配だ。シュカブラにアイゼンを利かせながら山頂直下を南側へと回り込んで行く。


稜線から権現岳を眺める


 風で踏み跡が飛ばされルートが分かり辛い。少し右往左往したが、よく観察すると下の方に鎖場があった。昨年に比べて鎖がかなり露出しているので摑まっていけば危険は無いだろうと判断した矢先、
O氏がスリップ、あっと思う間もなく滑落を始めた。5mほどでスピードが落ちたのでやれやれと思ったのも束の間、再び加速を始めたので息をのむ。

 幸い深雪がブレーキとなって更に
10mほど落ちたところで止まった。ザックから飛び出したテルモスが音も無く立場川本谷へと転落していったのを目撃してぞっとする。あたかも本人の身代わりになってくれたかのようだ。O氏はショックからか、しばらく身が起こせない。声をかけると幸い怪我は無いようだ。ようやく立ち上がり、雪をかき分けつつ鎖場まで戻って来た時には心底胸をなでおろした。

 標高
2820mの地点、時刻は1130分。山頂まで後僅かだが、この状態ではとても無理だろう。登頂は躊躇なく断念することにした。往路を辿って下山開始。急峻な文三郎尾根をゆっくりと下り行者小屋に帰着した。ここで一休みした後、再び南沢をのんびりと下る。美濃戸口には午後350分に帰着した。


後記

 今回の滑落事件は、私にとって山で恐怖を感じた初めての瞬間だった。これまで自らの体験として春の権現岳で滑落したり、初夏の幌尻岳の渡渉に失敗して流されたりしたこともあったが、心のどこかには余裕があった。自分で何とかコントロールできる自信(妄信?過信?)があったからだと思う。 
 今回は我が事ではないので、そうはいかない。どうやら初めから終わりまでマイペースの一人歩きに慣れ過ぎてしまったらしい。同行者の体調や経験を斟酌する配慮や習慣の無い私には、パーティ登山は十年早いと痛感したのだった。

         無事生還を果たしたO氏

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