3090,3190m 長野・岐阜県 | |
百名山で実践していた日帰りピークハントから縦走という「点から線」への転換が今夏のメインテーマ。重いテント装備で腰痛を患ったりして年齢から来る限界を感じながらも、この方針はしばらく続けるつもりだ。ただ歩くだけでは芸がないので、日本海から焼岳まで北アの縦断記録を残すことを目標にしている。 この長丁場を何日もかけて一気に歩いてしまう兵がいたり、さらに信じがたいことに7日間で北ア、中央アさらに南アを走破して日本海と太平洋を結んでしまうトランスジャパンなる山岳レースまである。 むろん私には無理な話。それに楽しみを一度で終わらせては勿体ない。私に出来そうなのは、時間をかけ小分けして歩き、こま切れのトラックレコードを繋げて縦断したことにすること。これなら地図を眺めながら今度はどこの山域を歩こうかと少し幅を持たせた構想を考える楽しみも味わえる。 ちなみに槍ケ岳から西穂高までの区間で見た足跡は、今日現在で右図の通り。 ご覧の通り、3回の山旅でようやく槍ケ岳から西穂高岳までが繋がった(南岳の北側で鎖がちょこっと切れているがご愛嬌)。 細かな欠落の補修はいずれ行うことにして大筋を早く完成させたいと思っている。それには体が動くうちが勝負。加齢を重ねる前に困難なルートほど早く済ませておかないといけない。 そんな訳で、今回は一般コースとしては最難関と言われる奥穂高から西穂高への縦走を試みた。 2013年8月28日(水) 第一日目 昨夜は友人との飲み会があったので朝寝坊、いつもより遅い自宅出発となった。午前7時過ぎに沢渡の駐車場に車をとめると折り良くタクシーに4人の乗客がいたので私も相乗りさせてもらう。おかげで時間も節約できたし、上高地まで一人\1200のところが、\800也で済んだ。 上高地バスターミナルで登山届を提出し河童橋に向かって歩き始める。出発は早や出が取り柄の私としてはかなり遅い7時45分。雲がかかってはいるものの高みに聳える穂高の峰々が梓川の清流とマッチして上高地に来たことを実感する。
自然探勝路をしばらく進んでから岳沢の登山道に入った。歩き易い石畳の道が延々と続く。出発時間が遅かったせいか他のハイカーに追いつくことも、追いつかれることも無い。たまにぽつぽつ下ってくる人と行き合うだけの静かな山道だ。昨夜の酒が残っているのか、今ひとつ調子が出ない。こんな時、マイペースで歩けるのが有り難い。
左に覆いかぶさるような西穂高の荒々しくも神々しい稜線に圧倒されながら歩き続け、ちょうど2時間でプレハブのような岳沢小屋に着いた。眺めの良いテラスに陣取り、これからの急登に備えて腹ごしらえする。
ここは屏風のような峰々に囲まれて素晴らしい展望台だが、一方でいかにも雪崩の通り道にもなりそうな立地だ。せっかく再建してくれた山小屋に倒壊の悲劇が二度と起きないことを祈ろう。
小屋を出るとすぐに河原を渡り返して草付きのジグザグ道へと進む。道は傾斜を一段と増して梯子を登ったり、長い鎖場を越えたりしながらぐんぐんと高度を上げて行く。
この頃になるとぞくぞくと下山して来る人達とすれ違うようになった。急坂の上、浮石も多いので落石を起こさないように細心の注意を払う。下山中の若い女性の足元から崩れた石が前を歩く人の背中にあたって平謝りしている一コマもあった。落としたのが私のようなオッサンだったら。。。?
明神岳がだいぶせり上がってきたところで紀美子平に到着。ここで2回目の小休止。ここまで既に4時間を歩いて足にも乳酸が溜まりだしているが、せっかくなので前穂高岳を往復することにした。
30分足らずで山頂に到着。既に12時を回っており、湧きだしたガスに視界を遮られてしまうが、時折サッと晴れて常念岳や大天井岳など北西方面が見渡せる。殆ど真下に思える涸沢を見下ろすと色とりどりのテントの花が咲いている。残念ながら奥穂高岳はすぐ近くにありながら最後までその姿を拝むことができなかった。
再び紀美子平へと下り、奥穂へと向かう。ガスが濃くなって五里霧中状態。吊尾根のどの辺りまで来ているのかまるで見当がつかない。幸い、いつもは標高2800mの鬼門を越えると途端に萎え始める足は、今日はせっせと働いてくれている。
午後2時半に3度目となる奥穂高岳山頂に立った。眺望ゼロであるし、明日も登って来る山頂なので長居は無用と、すぐに穂高山荘に向けて下り始める。午後3時10分に山荘に到着。多くの登山者で込み合っていたが、幸い布団一枚を確保できた。 行動時間 7時間25分 二日目へ続く |