山梨・長野県 2965m | |
2009年8月22日 金曜日の夜、勤め先から帰宅してすぐに出発するつもりだったが、仕事の都合で帰宅が遅くなったのと、しばらく待てば高速のETC料金が\1000になるので、翌日未明の出発とした。夕食後3時間ほど仮眠をとって午前1時きっかりに車のハンドルを握った。タクシーで込み合う都内を抜けて中央高速に入る。天気は回復傾向にあると言うものの、山梨県に入ってからは完全に雨模様で、時折強い雨がフロントガラスを叩く。天候回復を祈りながら伊那ICを出て一般道を美和ダム方面へと向かった。戸台口を経由して仙流荘には4時半に到着。広い駐車場は既に満杯に近かったが、何とか空きスペースを見つけて車を停めた。しばらく休憩していると5時を回る頃から続々とハイカーがバス停に集まり始めている。ちょっと早いと思ったが、6時の便が満員になっても困るので急いで身支度を整えて列に加わった。翌日聞いたところでは、この日朝一番にはまとめて8台ものバスが出たらしい。1台辺り定員40人として300人以上が同じ時間帯に北沢峠へ向かったことになる。乗り込んだバスは補助席までフル動員して6時を待つことなく出発。濃い霧のなか、つづら折りの狭い林道を約50分かけて登っていく。ザックを膝の上に抱えてうとうとしているうちにバスは北沢峠に着いた。標高は2030m。睡眠不足で働かない頭に活を入れつつ、バス停のある長衛荘から約10分下った北沢駒仙小屋のテント場へと急ぐ。道すがら隣り合わせた登山者に挨拶すると、今日はアサヨ峰をピストンするとのこと。三百名山の一つだし、そこから眺める甲斐駒ケ岳や北岳はきっと圧巻だろうなと思う。テント場に着くと既にいくつか色とりどりのテントが設営してあった。小川沿いの平坦地を選んで下ろしたての一人用テントの設営を開始した。予行演習してあったので迷うことなく本体、フライシートの設営を15分ほどで終えた。すぐにアタックザックを背負ってテント場を後にする。時刻は7時35分。しばらく北沢沿いの緩やかな道を登っていくとうっそうとした森の中にある仙水荘に着く。ここを右手に見ながら休まずに進む。
天気は次第に好転しつつあるようで、ガスがどんどん上がっていく。氷河期に作られたという岩塊地帯のゴーロを過ぎて間もなく仙水峠に着いた。この辺りで同じバスで来たと思しきハイカーを次から次に追い抜く。始めは人数を数えていたがいちいち覚えていられない。息切れしない程度のスピードにセーブしながら歩いているつもりだが、すぐに先行者に追いついてしまう。荷物を必要最小限にしたためか、アドレナリンの蛇口が全開なのか、ともかく足が前へ前へと出る。今日はスーパー還暦男なのだ。ハイマツを抜け出て駒津峰山頂へ。ここから甲斐駒ヶ岳をじっくり展望した。霧が流れるなか、時折、摩利支天が姿を現す。 一人がようやく通れる細い岩場をいくつか過ぎて直登と巻き道の分岐に着く。ここにいた若い人に「元気ですねェ〜」と煽てられて、つい勢いに任せて直登ルートを選択してしまった。岩にへばりつくが結構きつい。両手を使う登りなのでストックがじゃまになる。急斜面から次第に傾斜が緩やかになり10時25分に甲斐駒ヶ岳の頂上に立った。テント場から2時間50分、休憩時間を除くとネット2時間35分の登りだった。ガスは相変わらず流れているが、時折、鳳凰三山や鋸岳、仙丈ケ岳が姿を見せてくれる。北岳は残念ながら霧のなかで顔が拝めない。頂上は流石、信仰登山の山だけあって頑丈な石造りの祠が置かれている。その入り口に草鞋が何足か釣り下がっているが、これは何の意味があるのだろう。
摩利支天
テント場に戻ると、何も無かったはずの隣近所が、色とりどり大小さまざまなテントに埋め尽くされていた。自分のテントにもぐり込んでみるが、強い日差しが照りつけていて内部は灼熱地獄、とても中にいられない。日陰を探し沢でよく冷やしたビールを飲みつつ、次から次に設営されるテントを眺めながらぼんやりと過ごす。日が西に傾いてきたのでテントに戻るが、入り口からもろに強い西日が差し込んでくるのに閉口した。全く考えなしにテントの向きを決めてしまったことを反省するが面倒なのでそのままにしておく。時間はゆったりと過ぎ、ようやく陽も傾きサウナ状態から開放された。翌日は早発ちするつもりであったので夕方5時には夕飯の準備を開始した。ここではたと気がつく。何かが足りない。箸を忘れた!仕方が無いので小枝を2本拾ってきて箸の代わりにした。この代用品でごはんものはしんどいので、主食はラーメンとして簡単に夕食を済ませた。恥ずかしいのでテントのなかでひっそりと。6時前にはシュラフに入るが隣近所は酒盛りの最中でやかましいことこの上ない。しかし、夜間の運転と昼間の疲れからいつの間にか眠りに落ちていた。
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一日目 二日目 甲斐駒ケ岳 仙丈ヶ岳 |
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