赤岳  長野県 2899m   百名山
 阿弥陀岳長野県 2899m
    


2008
1018


 
若い頃、八ヶ岳に毎週のように通っていた時期がある。その頃は土曜半ドンの勤めだったので、ゼロ泊二日が当たり前であったように記憶している。つまり土曜日の新宿発夜行列車で山へ向かい、ろくすっぽ寝られぬまま翌日フルに歩いて、夕方の列車で東京に帰るといった具合だ。今は頼まれてもそんなハードな山歩きは御免こうむりたい。長いブランクを経て山を再開したが、三つ子の魂百まで、今でも八ヶ岳には変わらぬ思い入れがある。 


 午前3時に自宅を出発。近所のコンビニで朝とランチのお握りとお茶2本を買う。夜中でも込み合う都内を抜けて調布インターから中央道へ。諏訪南ICから八ヶ岳ズームラインに入り、夜明け前に美濃戸口に着いた。ここからさらに美濃戸へと向かう。先行する車の後を追うが、途中のカーブの勾配がきつくスリップしてしまう。再度トライするが、どうしも登れない。諦めて美濃戸口まで戻ろうとバックで下っていくと下から車が続々上がってくる。狭い山道で避けるわけにもいかず、戻るに戻れないので、しかたなく先ほどのカーブへ戻りもう一度挑戦すると、今度はあっさりとクリアできた。これで林道歩きが往復2時間弱、短縮できたので助かった。美濃戸の駐車場にはもう何台もの車がとまっている。急いで身支度をして午前6時に歩き始めた。しばらく赤岳南沢沿いに進む。

紅葉がそこかしこに


赤い稜線が次第に近くなってきた


 
この時期、木々はもうすっかり葉を落として冬支度だが、見事な紅葉がそこかしこに残っている。八ヶ岳の赤茶けた稜線がその向こうにある。久しぶりの3000m近い山に心が浮き立つ思いがした。こんな感覚は何年ぶりだろうか。行者小屋への緩い上り坂をマイペースで歩く。母親と子供二人のパーティを追い越した後、殆ど荷物らしい荷物を持たない黒タイツに運動靴の若者が小走りで登ってきてあっという間に追い越していった。後で知ったが、これがトレイルランニングというものらしい。歩くだけでもしんどいのにご苦労なことだ。河原歩きも飽きてきた頃、行者小屋が見えてきた。小屋前にはテントが二張り、数人がのんびりたむろしていた。

 

 行者小屋から赤岳へは文三郎尾根と地蔵尾根の二つのコースがある。今回は阿弥陀岳へ寄るつもりなので行ったり来たりしないでいいように後者から登ることにした。鎖が所々にある急登にぜいぜいと息を切らして登る。それでも雄大な硫黄岳、凄まじい横岳の岩峰に見とれ、辛い登りもどこへやら、山を再開してつくづく良かったと思った。

 
 赤岳山頂までもう一息


赤岳山頂


 赤岳山頂には9時に到着。学生時代には何度も訪れた山だが、35年の時を経て再会が果たせた。かつては見慣れていたはずの眺望も全てが新鮮に感じる。やはり山はいい、来てよかったとの思いが沸々と湧いてきた。秋晴れの下での展望に後ろ髪を引かれながら中岳方面へと下る。これまた久しぶりの権現岳に、近いうち表敬に伺いますと挨拶し、中岳のコルを経て阿弥陀岳への急斜面を登る。大した距離ではないが、高度の影響のせいかやたらに息が切れた。しかし、後からついてきた私より2回り程若いハイカーも同じようにぜいぜいと肩で息をついている。なぜか妙に安心する。


 阿弥陀岳のフラットな頂上には多くのハイカーが居て休憩したり食事をとったりしていた。高い人口密度に嫌気がさして山頂で何枚がデジカメのシャッターを切った後、すぐに下山開始。今度は鞍部から文三郎尾根を行者小屋へと向かう。ジグザグの道を登ってくるたくさんの人達と行き違う。その多くが中高年、なかには明らかに70歳は越えていそうな方も沢山居た。最近の登山ブームはこうした中高年が支えていると実感するとともに、自分はまだ若造、まだこれから最低10年は山を楽しめると勇気付けられた。そんなことを考えていると、私と同じ年恰好の人が小走りに降りてきてあっさりと追い越していった。しばらくむきになって追いかけるが間もなく姿が見えなくなってしまった。年だと思って自分に甘えてはいけない、まだまだ精進が足りないと痛感。





 
 
なぜ赤岳と呼ばれる理由がよくわかる



 美濃戸登山口には12時半に帰着。合計7時間弱の山歩きであった。帰りの渋滞を避けるため、休む間も惜しんで車上の人に。しかし中央高速を降りてから大渋滞にはまって、結局自宅帰着は日が落ちた後であった。 

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