自己紹介     2011年1月1日

  
  60歳の声が間近に迫る年代になってからは、いずれ仕事以外のことに目を向けなければ、老後の有り余る時間を持て余して碌な事にはならないと予感していました。元来人付き合いの良い方ではないのですが、そこそこに人との触れ合いが楽しめ、かつ一人で黙々と励むことが性に会っていると思っていましたので、若かりし頃にはまったアマチュア無線を再開しようと思い立ちました。寸暇を惜しんで勉強し、一級アマチュア無線技師の資格を取ったのが57歳の頃、20メータ高のクランプアップタワーを建てて、かつて憧れの大型アンテナをそれこそ敷地一杯に張って暫くの間、国内外のハムとの交信を楽しみました。しかし結局は資金力が制する世界で、大型アンテナを建塔し大出力化を図れば電波は良く飛ぶという当たり前のことに気づいてからは、今一つ盛り上がりませんでした。

 その後まるで青春をなぞる様に中高生時代のハムから大学時代に夢中になった山歩きに再び関心が移ってきました。かつての山道具は何一つ残っていませんでしたので、登山靴や雨具等最低限必要なものを取り揃えて再スタートしました。日頃の運動不足と長いブランクがあったので、身近の低山から足慣らしをすることにしました。最初に登ったのが里見八犬伝で有名な房総半島の富山(標高350m)で4時間足らずのハイキングです。この程度の山歩きなら何とかこなせることがわかりましたので、次に5月の連休を利用して茨城県袋田の滝近くの奥久慈男体山(標高654m)に登り、ついでに袋田の滝まで縦走しました。わずか半日歩いただけで足が棒になる情けない状態でしたが、そこかしこに咲く花々や、目どころか体全体に染みこむような新緑が素晴らしく、自分の求めていた世界はこれだったのだと目の前が一気に広がる思いがしました。

 とは言えまだ現役であり、しばらくは仕事が忙しい日が続きました。ようやく秋になってから紅葉を求めて日光の奥白根山や、八ヶ岳連峰の赤岳、阿弥陀岳に日帰り登山しました。思った以上に足が動いてくれることが嬉しく、また昔と違ってマイカーが大いに活用できることを知って、12月には奥多摩の雲取山、翌年の1月には、若かりし頃毎週のように通った丹沢の塔ノ岳、丹沢山、蛭が岳、桧洞丸などに足を運びました。その後、四月に八ヶ岳の権現岳や甲武信が岳で残雪期の山歩きを楽しんだりと闇雲にあちこち足を伸ばしているうちに、目標を持って系統的な山歩きをしたいと思うようになってきました。深田久弥の日本百名山が中高年にブームとの話は、かねてより耳にしていましたが、自分には縁の無い世界と思っていました。それがにわかに身近なものになりました。またもう一つの動機もありました。これまでの60年近い人生で国内旅行を楽しむチャンスが殆ど無かったということです。仕事の関係で世界50カ国以上を訪問していましたが、その分国内には全く縁が無い現役時代でした。何時かはと夢見ていた日本各地の物見遊山も、全国を遍くカバーする百名山巡りをきっかけに楽しめはずなので、一石二鳥ではないかと考えるようになったわけです。

 この計画をスタートするに際して自分なりに決めたルールは次の通りです。



■百名山をカウントするのに、若かりし頃に登った山の記録はリセットし(おそらく1/3位は登っていたと思います)、スクラッチからやり直す。
日帰りを基本にする。重装備のストイックな山歩きはしない。出来るだけ軽装でスピード重視。
■GPSを活用して地図データと記録を公開し関心ある方の役に立ててもらう。
■安全第一、厳冬期の高山には近寄らない。せいぜい中級山岳まで。
63歳を目標に完登を目指す。(スタートは59歳としました)


百名山が60座を越えた頃から少し欲が出て、ニ百名山が視野に入ってきました。そのうち気が変わるかも知れませんが、これから益々自由になる時間が増えますのでマイペースで踏破していきたいと思います。



   
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