杁差岳  1634m 新潟県       
二百名山
 

2016年9月24日(土)

 秋雨前線と台風で山はしばらくお休み。この週末、ようやく待ちわびた晴れマークが出たので今回は少し遠出して飯豊北部の二百名山、杁差岳に登ることにした。しかし、この山名、またもや浅学菲才をさらけ出してしまうのだが、どうしたら「えぶりさし」と読めるのだろう。日本各地にある難解な山名の中でも横綱クラスではなかろうか。それに「杁」の意味がわからない。

 例によってネット上に散らばる解説を参照してみると、諸説あってなかなか面白い。古語辞典によると「農機具の一種、くわのような道具」とある。またasahi.comによると、その昔丘陵地の多く田畑に水を引くことが難しかった尾張で、溜池から田畑に水を引くために作られた水利の道具を起源に作られた国字だそうな。

 そうだとすると何故遠く離れた飯豊連峰の山名に使われているのか、結局のところよく分からない。ともあれ、実際に歩いてみると、杁差岳はそのユニークな名称に相応しい展望に恵まれた素晴らしい山だった。

 午前5時半に胎内ヒュッテに到着。東京から400Km弱、睡眠時間を削らねばならない夜間の長距離ドライブは、老骨には辛いものがある。あくびをこらえながら、朝食、トイレといつものリチュアルを済ませ、出発の準備を始める。

 ヒュッテから登山口までは、約3Kmの道程。行き返り共に乗り合いタクシーのサービスがあるが、自力でのアプローチに拘り自転車を使うことにした。


              瀟洒な胎内ヒュッテ                       バイクを漕いで登山口へと向かう


 5時55分、クロスバイクに跨っていざ出発。頼母木川沿いの道は行程半ばまで舗装道路、その後はダートとなる。緩い上り坂に一汗かいたところで足の松尾根登山口に到着。ちょうどよい暖機運転になった。

 広場の片隅に自転車をデポし、登山届を提出して登行開始。この登山道、出だしは平坦だが、すぐに胸を突くような急登となる。松の巨木を縫うように登っていくが、この尾根の名が示す通り、登山道には松の根が縦横無尽に絡み合っている。歩きにくいことこの上なく中々ペースが上がらない。


            足の松尾根 登山口                           松の根だらけの急坂


 ここで追いついた何組かの登山者は殆どがテント泊の重装備だった。身軽なデイパックでも辛い急坂をご苦労なことだ。姫子の峰まで登ったところでさしもの急登も一段落。目の前に広がる尾根は、門内岳から伸びる胎内尾根だろうか。


               姫子の峰                               胎内尾根の展望


 この先、細かなアップダウンを繰り返しながら高度を上げていく。小ピークに着く度に様々なアングルからの飯豊の山並みが現れるので飽きさせない。基本的にこの尾根に危険個所は無いと言えるが、一か所だけ、ロープのかかった狭い岩場の通過があるのでそこだけは慎重を要する。


           次第に痩せ尾根となり、、、                         こんな岩場も




 水場の分岐を過ぎると樹高も低くなり、どこを向いても素晴らしい展望が広がってくる。振り返れば越後平野の一角と日本海が遠望できるのだ。


            大石岳が見えてきた                              地神山か?



杁差岳の手前にある鉾立峰



日本海


 やがて赤い実をつけたナナカマドが周囲に見られるようになった。標高1500mを越えた山肌は薄っすらと色付き始めている。山はもうすっかり初秋の様相だ。


薄っすらと色づいている


 ヒュッテを出発して3時間、稜線の一角にある大石山に到着。稜線の先には頼母木小屋、さらにその向こうには地神山へと続くたおやかな山並みが伸びている。その景色に背を向け、反対方向の稜線へと進む。


               大石山に到着                           杁差岳へ向かう登山道   



地神山へのたおやかな稜線


 正面に大きく聳える杁差岳と、遠く雲海の上に聳える朝日連峰に目をやりながら鉾立峰との鞍部に向かって高度を下げていく。130m下って140mの登り返し。この辺りで既に登頂を終えた、私同様デイパックを背負ったハイカー数名とすれ違った。独立峰から一頻り下り、最後は再び140mの登り返し。


杁差岳



雲上に浮かぶ朝日連峰



鉾立峰の向こうに目指す山頂が見えた



杁差岳


 避難小屋をスルーし10時20分、ヒュッテを出発してから4時間25分かけて、58座目の二百名山の頂きに立った。前評判通り、飯豊連峰の中では標高こそ高くないが、360度の眺望は申し分ない。


山頂 背後は大熊尾根の登山道



避難小屋を振り返る


 貸し切りの山頂でゆっくり腰を据えランチをとっていると、少し遅れて鉢巻きに地下足袋の青年が登ってきた。話しかけると同氏は、飯豊の植生復元を推進しているNPOに所属しているとのこと。彼から色々と貴重な話を伺うことが出来た。曰く、活動の中心は緑化ネットの敷設、土砂流下防止の土留め、種子の散布など。結果が出るまで10年単位の年月が必要なので現在参加しているメンバーの多くはその成果を目の当たりにすることはないだろう云々。また曰く、今年の寡雪ぶりは異常、石転び沢の雪渓が8月に消滅してしまったのは12年ぶりとのこと。。。等々。

 飛ぶように下山していった同氏を見送り、私も山頂を辞して歩き始めた。植生保護には今まで以上に気を使い、足の置き場は絶対に登山道を外さないよう意識したことは言うまでもない。それに松の根に躓かないよう慎重になったせいもあって下りは殆ど登りと変わらない4時間を要してしまった。


            秋の訪れは駆け足


 登山口からゲートまでは快速バイク便で胎内ヒュッテのチェックイン開始タイムの午後3時きっかりに下山することができた。

 この日はヒュッテ泊り。山深い環境にありながら、部屋、設備、食事、どれをとっても良い意味で期待を裏切る第一級の素晴らしい宿だった。しかも、ネット環境やテレビが無いので否が応でも自然と向き合い、ゆったりと過ごすことができるのだ。


行動時間  9時間5分



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